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いい人ぶらずに生きる(1)

花子とアン、おひさま。
いずれもNHKの連続テレビ小説です。
その時代構成は近く、戦前戦後の日本人、その時代に生きる人と人の係わり合い、心の機微をそれぞれの視点で構成、展開されています。

休日の昼下がり、戦後の日本人の前に進もうとする人間模様をドラマに見ながら、ふっと思い出した書籍がありました。

「いい人ぶらずに生きてみよう」


いい人ぶらずにいきてみようこれは数年前、わたしが今後の生き方と人生について考えていた時期にであった一冊です。

なんとなく自暴自棄になったかと思えば、心のどこかで希望の光を探している。
そんな情緒不安定の中、悶えているのかなんなのか、自分でも自分が見えないなかで「そっ」と私のもとに来てくれた書籍でしたね。

そう、タイトルにびびっときました。

千 玄室(せん げんしつ)
京都生まれの茶人で茶道裏千家第15代家元の著です。

氏は著のなかで、先述のドラマ同様の時代を生き抜き、その時代に生きたものとしての率直な感情を記してくれています。
そして茶を通して日本のみならず海外にも渡り、人のあり方を提言してくれました。

なぜこの書籍に出逢い惹かれたのか。


ー 周りに合わせる価値観の基準の中で生きていたから。

一言で言えばそこでしょう。

私は常に夢をもち、やりたいことを未来にみている、はずでした。
でもその当時、それを実現するには越えなければならない明確な課題があったのです。
人との関わり方と自己表現の無能さに究極に悩んでしまった。
結果、人を信じられなくなり、それを突破できるだけの力がない自分の弱さに落胆していましたね。

でも気付かせてくれたんです。

その一節を紹介します。


価値観の基準を周囲ではなく自分自身に定める。
それは、時に誤解を受ける事もあれば、非難をされることもあるでしょう。
けれど、ちまちまと人の目を気にして、自分を繕って生きていくしんどさと比べた時、
さて、どちらが価値のある、そして自分自身が本当の意味で楽になれる生き方なのか?


当時の私には刺さりました。
グッと来ました。
大げさではなく涙を流しました。

シンプルに考えさせてくれたことで「変われる気」がしたのです。

続きは次回。今日はここまで。

ナンバーワン?オンリーワン?


今日は「ナンバーワン」「オンリーワン」という言葉について考えてみたいと思います。


生きるって大変

現代社会はとても複雑な競争社会です。「目に見える範囲」以上のことを意識して理解していないと、この競争社会ではうまく立ち回れません。

技術も制度も高度で複雑。それをきちんと理解し、処理・利用できる人たちが、共同体や社会を動かしていく能力を評価されて、”動かす側”として、責任ある立場についたり高い給料をもらったりします。

逆に複雑で高度な技術・制度を”処理・利用できない(末端事象のみに感覚的に関わる)”人たちは、どちらかと言えば”動かされる側”に回り、前者と比べれば給料も責任も低い。

最近は社会が複雑になり、いわゆる”動かす側””動かされる側”に大きな隔たりができて、給料や評価の面でも大きな差がついているため、前者を「勝ち組」、後者を「負け組」と呼ぶことがポピュラーになってきています。

ナンバーワンとオンリーワン

その複雑な仕組みの中で、一歩先の技術を創造したり、一歩先の制度を組み立てたりして、「オンリーワン」の何かを得る人たちがいます。そういう人たちを世間では「パイオニア」と呼んだり、「天才」と呼んだりして高い評価をします。

一方で、すでにある競争体系の中でトップランナーになることも、勝者として評価されます。どちらかというと、こっちの方が一般的ですね。その種類はは色々あって、いわゆる一般的なビジネスのシーンで会社同士の競争、会社内での競争、芸能やスポーツなどにおける競争、既得権益内での競争などなど、様々です。

それぞれの競争体系の中で先に述べた「勝ち組」に回れる人の数はある程度決まっていて、その枠に収まる人数や割合が多かったり、その枠に収まるまでの道のりがある程度分析されている(運の要素が低い)ものを、「安定した業界」「安定した職業」といい、たくさんの人が競争に参加します。

逆に小さい枠の業界、勝つための道のりが広くは知られていない業界は、「運」「才能」という要素が占める割合が大きいと考えられ、この業界での「勝ち組」は前述の「オンリーワン」に近い評価をうけます。

何を目指すのか

オンリーワンもナンバーワンも、その言葉の裏には競争があります。

競争という概念を用いないならば、オンリーという必要もなく、ナンバーをつける必要もないわけです。

だから、
「人間はみなそれぞれが大切なオンリーワンなんだから、順番を競わなくていいんだ」
という言葉は、ややもすれば、すでにこの言葉の中でで自己矛盾に陥ってしまうんです。

”競争概念ですべてを評価せず、個々の尊厳が尊重される社会をつくっていきましょう”、という意味で、上の言葉には意味があります。でも、競争概念を基礎におきながら、努力もチャレンジもせずに、上の言葉の字面をなぞって、自身があたかも競争社会で勝ち残った人たちと同じかそれ以上の結果を出したかのような錯覚を覚える、という風なことになれば、本末転倒です。

ギスギスした競争社会やそれが生み出す理不尽なヒエラルキーに異をとなえるわけでも、競争の概念を弱めて調和に富んだ社会に貢献するわけでもなく、ただただ易きに流れ、つかの間の優越感を得るために、オンリーワンとかナンバーワンとかいう言葉を自分の都合で使いまわす、というのであれば、何とも悲しいことだと思います。

社会の全体像をとらえて、「個」としての自分の位置を知り、自分にできることを、きちんと理解して行う。
そのように考えると、競争があろうがなかろうが、自身で自身の役割や行動を評価することができます。
そうしたときに、「価値ある個」としての自分を認識することができ、活き活きと毎日を過ごす原動力になるのかもしれませんね。

ひとやすみ ひとやすみ

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Web誕生の起源、それから25年の今と未来

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ティム・バーナーズ=リー(Tim Berners-Lee)。


ご存知ですか?

氏の名は、Web業界の者なら耳にしたことはあると思うけれど、他業界の方からは「誰?」って感じかもしれませんね。

いま私は、
・経営とはなにか
・社長業とはなにか
・戦略的思考とはなにか
そんなことを、経営本を購入しては学ばせていただき、明日以降の人生に生かすべく脳みそを刺激しまくるサイクルに入っています。
例えば、鈴木清一氏、稲盛和夫氏、ジョブズ氏、牟田学氏などなど。

昨晩からはティム・バーナーズ=リー氏の「思考回路」を摘みたい衝動にかられ、関連記事をつまみ食いしておりました。


ティム・バーナーズ=リーとは?


Web(ウェブ)という単語は日常用語で一般化されていますが、彼はその生みの親。
(タイムリーに今日のYahoo!ニュースにもでてましたね。)

そう、サイトのURLに使われている「www」の部分は彼の考えたものです。

 WWW = World Wide Web = 世界中に広がる蜘蛛の巣。

世界のWebサイト数が10億件を突破した記事が出ていましたね。
その起源は遡ること、1991年の8月6日
ティム氏が世界で最初のWebサイトを公開した日です。


Webの誕生


ティム氏がスイスにある研究機関のCERN(セルン)でコンピュータ技術者として従事していた時のこと。

その機関には相応の研究者が在籍し、入れ替わり立ち代わりの状況だったようで、
研究者の情報やデータの管理、閲覧が煩雑だったそうです。

それをスムーズにできるシステムを開発できないか!?

そこで着手したのがこちら。
 ・研究に関係のある大量の文献、データを1つのコンピュータ集約
 ・その文書同士をリンクさせる仕組みを計画、実現

HTMLという用語を聞いたことはありますか?
HTML = HyperText Markup Language = ハイパーテキスト・マークアップ・ランゲージ

Webサイトにあるテキストの文字列をクリックすると、他のページに遷移しますよね。
これを「リンク」といいますが、その機能を持っている文書を「ハイパーテキスト」と言いまして、
それを生んだのがティム氏なんですね。

WWW、そうWebの誕生です。


基本構想から25年、これからのWebの世界


25年で10億サイトってことは単純計算で・・・えっと

・1年で4千万サイト
・1日に約110万サイト
・1時間に約5千サイト
・1分間に約80サイト.....

なんの参考値にもならん計算です(笑。
まぁ規模の大なり小なり、クォリティの善し悪しは別として、
Webの世界が全世界の人々にとって「必要なものである」と感じられていることは間違いはなさそうです。

この業界の一端に携わる者として


ティム氏も、Facebookのザッカーバーグ氏も身近にあった課題から世界を作りました。
そして25年、時速5千サイトのスピードでWebの世界は拡大しています。

HTML5の登場でPCやスマートフォンのデバイスを越え、ブラウザさえあればWebと連携されたサービスがさらに急速に拡大するでしょう。

とにかくこの世界のスピードは速い。。

それだけに共通言語の「Web」ではあるものの、
Web戦略とその取組み方にはあきれるほどの地域間格差がある、そんな風に肌で感じています。

都市圏と地方のハブになる!
その想いを募らせること数年。
まだまだ道のりは続きますが、このWebの世界とそれに関わる人に「喜びのタネ」を少しでも撒けるよう前に進んでみます。

今日はティム氏に発想の起源をみさせていただきました。

ということで、
次回は「鈴木清一氏」について学んでみたいと思っております。

先人に礼。ご教授ありがとうございました!

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考えることの大切さ

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食べて、出して、寝る

医師は生物学を学びます。人間を含む動植物について勉強します。
生物学上、人間は動物であり、動物である以上は他の生物を食して生きます。
また、有性生殖を行う生物でもあり、交配して子孫を残します。
また、高次の機能を有する脳を持ち、その維持に睡眠が必要です。

この3つが生きる上で不可欠であり、それを追及するように私たちはプログラムされています。
私たちが毎日行っていること、「食べて、出して、寝る」は、人間が動物として生きていく上での必須の行動なんですね。

さらに、3欲には数えられませんが、生物は生きる上で「生存競争」を常に行っています。
3欲に加えて、「競うこと、闘うこと」は、生物の根幹をなす行為だといえるでしょう。

すなわち、
食:おなかいっぱい食事をすること
闘:生存競争に勝つこと
性:しっかりと子孫を残すこと
眠:安全な場所で寝ること
を行っていくのが、動物としての生活、という風に考えられます。

思考はとても人間らしい行為

一方で、「考える」という行為は、そのどれとも異なる行為です。

今日のお昼は親子丼が食べたいなあ
今度のテストでは20番以内に入りたいなあ
○○さんとデートしたいなあ
明日はゆっくり8時間くらい寝たいなあ

行為の対象は目の前にありません。頭の中で抽象概念として想像しています。
これは人間以外の動植物にはほとんど見られない行為です。

この「抽象概念を操ること」が可能なのは、人間が「言語」をもっているからです。
単純な行為を要求するような音声は他の動物も発します(例えば「あっちいけ」など)。
でも、「3丁目の茅野さんに、この回覧板を渡して、印鑑をもらってきて」という情報は、言語のない他の動植物には(現時点で我々が認識できる範囲では)伝えることができません。

そういう意味で、「言語」を使って抽象的な思考をする、という行為は、きわめて人間らしい行為だといえるでしょう。

思考にも色々ある

ただ、抽象的な思考ができるからといって、他の動植物よりも優れた存在である、というわけではないでしょう。上に挙げたような思考は、最初に述べた「食・闘・性・眠」の4つを求める思考です。普通に動物も持っている衝動をただ言葉にしただけ、と言えるでしょう。動物の場合はその対象が目の前にあることがほとんどであるのに対し、人間は目の前になくてもいい、というだけです。

そう考えると、私たちの普段の思考は、ほとんどがこれらに帰着することばかりではないでしょうか。

朝起きて、学校・仕事に行く。実用知を学び、生業に励む。 動物が狩りをするのと変わりません。
昼食を食べ、友人とコイバナをする。 食・性にまつわる思考がほとんどでしょう。
学校・仕事が終わり、友達と遊ぶ・飲みに行く。 思考していないことが多いでしょう。
帰ってお風呂に入って、歯を磨いて寝る。

この日常生活に「人間ならではの高度な思考」を見出すのは難しそうです。

TVやラジオ、インターネットのおかげで、情報は瞬時に広範囲にいきわたります。
交通機関の発達のおかげで、今や人間は地球全体どこにでもすぐに移動することができます。
パソコンのおかげで、映像や音響を駆使して様々な作業をすることができます。

しかし、その使い道は何なのか。お金をかせぐため、3欲を満たすため、競争で勝つため・・・
高等動物である人間ならではの使い方をしているのでしょうか・・・

ロメウスイッチは、この「思考」について深く考えるきっかけをつくることを目標の一つにしています。
記事をご覧の皆さんにとっても、ロメウスイッチが、思考をスイッチするきっかけになれば幸いです。

今日はこの辺で。この記事の続きは日を改めて共有します。

最後にこの記事の表紙にもなっている小林秀雄の言葉を引用して終わります。

僕らはいま月にいけるでしょう。科学の方法が僕らを月に行かせているのです。それは、僕らが行動の上において、非常に進歩をしたということです。けれども、僕らが生きてゆくための知恵というものは、どれだけ進歩していますか、例えば論語以上の知恵が現代人にありますか。(信ずることと考えること)

病院

医師の社会的責任2~revised:予防をすすめる意味~

仕事?社会貢献?

医師の仕事とは何か。「病気を治すこと」・・病気の知識、それを治す技術を持っていることです。それで私たちは病院やクリニックにおける医療サービスを提供でき、その対価をいただいて生計を立てています。

医師の仕事を経済活動と見ると、このように定義できると思うのですが、「医師という専門を持った個人」という観点で、社会の一員としての責任を考えると、その役割はもう少し広いような気がします。

前記事「医師の社会的責任」で述べたような、病気に対する認識や偏見へのアプローチもその一つです。また、昨今話題にのぼることの多い、「予防」へのアプローチもその一つだと思います。今日はその「予防」について触れたいと思います。

予防という考え方

私たちは病気になった人を治療します。色々な薬や器具を使ったり、手術をしたり、と治療法は様々です。医学の進歩によって、多くの病気の治療期間が短くなり、治療の見通しが立つようになりました。そういった意味で、私たちが普段遭遇する病気は「治癒(もしくはコントロール可能になる)までの予測ができる」ものになってきています。

しかし、一度病気になってしまうと、最適な手段で治療したとしても、その治癒には一定の時間と予算と労力を要します。それが「治る見込みの低い病気(進行ガンや糖尿病など)だった場合、病気にかかってから死ぬまでの間ずっと治療を続けることになり、負担も大きくなります。

それに対して、「病気にならないよう日頃から注意する」ことを勧めるのが「予防」です。


・ガンにならないよう、タバコを控えましょう。
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・糖尿病にならないよう、食生活を改善しましょう。
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・血管病にならないよう、定期的な運動をこころがけましょう。

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このような「予防」は、冒頭で述べた、私たちが生計のタネとしている「治療」とは対極にある行為です。病気になる人、特に治りにくい病気の人が増えた方が、治療対象も治療期間も増え、私たちの仕事と利益は増えます。

しかし「予防なんかしなくていいですよ、どんどん病気になってどんどん病院に来てください」とは言いません。基本的には病気から遠ざかるような言論を普段から発信していく、というのが、社会の一員としての医師の役割だと思います。

予防を勧める意味

予防は経済活動としての医療の観点からすると、顧客を減らす行為、すなわち業界の損になる行為です。でも、私たちは予防を勧めます。それは何故でしょうか?

人によって異なる部分もあるとは思いますが、経済活動をする「医療サービスの提供者」としてとは別に、「社会の一員」としての自覚があるからではないでしょうか。社会の一員として、自分たちの社会に対して責任感を持つ。「健康な人の多い社会」をよしとする。それに貢献するための知識と経験を持っているから、それを使って社会に貢献する。そういうことなんだと思います。

「健康になってほしいと思っていない人が治療をする」ってのは矛盾ですよね。でもみんなが健康になると仕事はなくなるんです。理想的な形は、普段から予防についての知識や経験を社会に還元して社会全体の病気が少なくなり、そうはいってもなってしまう病気はあるから、その部分を医療サービスを提供して治療・コントロールする、というものでしょうか。

そうなると医療サービスの提供者の数についても論議する必要がありそうで、それは資格を毎年どれだけ発行するか、という問題にもつながり・・・このへんで「複雑だから考えたくない」と言いたくなっていまいますね。政治・社会は常に生活や仕事と関わっているけれど、考える問題が大きくなってくると情報量が増えて面倒になる。でも、やはり少しずつでいいから考えていく、というのが大切なんでしょうね。

次回は「医療と情報」というテーマで、カルテ開示や医師の記録・説明などについて触れたいと思います。

病気って?

医師の社会的責任~病気って何だろう~

医師の仕事

医師は、「病気を治す」のが仕事です。
そしてその「病気」は、“社会生活を営む上で有用性の低い少数派”と言い換えることができます。
例えばIQ(Intelligence Quotient : 知能指数)。IQが高いのも低いのも、統計的にみれば“異常”です。
でも、IQが高い人を病気とは言いません。逆にIQが低い人は、「精神発達遅滞」という診断を受けます。

色々な病気を“数“ “有用性”という観点で見てみる


咳が出すぎると苦しいです。
病院に行ったり薬を飲んだりします。
咳が一生の間全く出ない、という人がいたら、普通ではありません。
でも、生きていく上で問題がないので、敢えて病気とはいいません。
もし、世界中でたくさんの人が、咳が出て止まらない、ということがあったら、未知のウイルスの存在などを考えて大騒ぎです。

骨の強さ
脆い人は「骨粗鬆症」という診断をうけます。
強い人は「骨太」と言われてむしろほめられます。
でもそれは、あくまでも“一般的に想定される範囲内”の話で・・・
車にはねられても銃で撃たれても骨が一切傷つかない人がいたら、「同じ人間でない」可能性を考慮され、大騒ぎです。

記憶力
他の人と比べて悪すぎると「記銘力障害」と言われたり、他の症状もあると「認知症」と言われたりします。前述のIQの低さも合わさると、「知的障害」とか「精神発達遅滞」とか言われることもあります。
良すぎる場合はほとんど問題とされませんが、他の障害が伴う場合は「サバン症候群」などの診断がつけられることもあります。


このように、少数・多数、有用・無用、という観点で眺めてみると、何を私たちが病気として、それをどういう基準でそう判断しているか、ということが少し浮き彫りになってきます。

偏見と競争

ある側面が少数派に属し、それが社会にとって有用と認められないがために、「病気」と言われる。
そういう例が、私が扱う精神科領域ではたくさんあります。
世論はそれを「我々とは違う人間」という扱いをしがちだし、それに伴って差別が行われることもしばしば。医療現場でさえも、偏見をもって患者さんと接する人が少なくないと思います。

精神科領域に限らず、「病気」は、「避けるべきもの」「治すべき、正常でないもの」と扱われ、患者さんは否応なしに、自身のもつその側面を嫌い、それを持っていることを不運・不幸だと考えなければならない、という空気の中に入り込みます。
もちろん、すぐに治るものであればそれでもいいのですが、そうでないものの場合(例えばガンなど)、それを嫌い、避けようとしてもどうしようもないことが明らかになると、諦め、受け入れなければならない局面に立たされます。

そのときに方向転換をするのは、かなり大変で、できる人とできない人がいます。

中には心を病む人もいます。

こういった不幸や差別の根本にあるのは、「生きる」「生存競争で勝つ」ことを是とし、それ以外を非とする考え方・・もう少し言葉を付け加えると、「健康」と「病気」を”同じ価値をもった多様性の一つ”とは考えない、「勝者」と「敗者」を”同じ価値をもつものの一側面”とは考えない、そういう考え方です。

だから病気は悪だし、その基準は「競争社会における有用性」を軸に持たざるをえないわけです。

病気って何だろう?

病気って?
私たち医師の社会的責任の一つは、こういった全体像を、患者さんやその家族、ひいては社会に提供し、「病気」と言われる人たちを追い詰めない社会づくりに貢献することだと思います。

しかし、病気を「それもひとつの価値だ」とは言いにくいし、無責任にそんなことを言ったら逆効果であることがほとんどでしょう。また、生業としての医業を考えたときに、「それをいっちゃあ商売あがったりだ」という部分もあります。病と闘うこと、病のない幸せな社会づくりに貢献することが医師の役割であり、それで私たちは生計を立てているからです。
医師ならだれでも「治したい」と思うし、「病気は敵だ」と思うものです。そして誰がより効率的かつ効果的な治療ができるか、ということを競いたくなるものです。

しかし、それが行き過ぎるとどうでしょう?
ほんのちょっとの「差」を病気といい、治療を施す。治療の的確さやそれにかかる時間にも、ほんのちょっとの「差」を見つけて、医師の優劣を競う。病は”心身をむしばむもの”としての意味合いから、”医術の競争ツール”になってしまうでしょう。患者さんもそれにつられて、もっと早く、もっと細かく、と刺激的医術を求める。病気があると「負けた」ような気になる。

その積み重ねが、今のように病人に厳しい「社会のムード」をつくっていくのではないでしょうか?

本来病気は、(人生の中で絶対に何度かは)「あって当たり前」のもののはずです。そして人が死ぬ以上は、治らない病気に出遭うことも「あってしかるべき」なはずです。しかし、医術の発達によって、治せる病気が増え、「ないのが当たり前」になって、治らない病気があることを忘れ、いつの間にか死が必ず訪れることすら忘れてしまっている・・ような側面があるような気がします。


私たちの役割

競争社会は敗者に厳しい社会です。競争をやめることは難しい。でも、何も考えずに弱肉強食を推し進めることが是だとは思えないし、その考え方に従って、”競争に弱い部分”を「病気」といい、その側面をもった人を「病人」といって差別するような空気をつくることが医師の仕事だとは到底思えません。

大切なことは、「人生の全体像」「社会の全体像」を個人がそれぞれに持ち、その中で「病」や「死」を”あるもの”として捉えて、普段から考えておくことだと思います。それこそが、「健康な人生」を歩むための習慣じゃないか、と一医師として感じます。病を治すと共に、健康な人生を歩むサポートをする、それも医師の社会的責任なのだろうと思い、今日も病院に行きます。

この記事が、ご覧になっている皆さんにとっても、「病気とは何か」「競争の必要性と弊害」「有用・無用とは何か」ということについて、少し振り返って考え、自分なりの解釈を持つきっかけになったら、医師として嬉しいです。

garmin

新しいチャレンジ!~走る~

garmin
みなさん、新しいことを始めていますか。
私は、年始に必ず、今年新しく始めることを妄想します。
そして、何か興味が湧くことがあればチャレンジすることにしています。

2014.10.26大阪マラソン

お世話になっている税理士先生から、「大阪マラソンに出場してみないか」とお誘いを受けました。
二言返事で、「走ります。」「先生に勝ちます。」
それで、一緒に走ることになった6名でグループエントリーをしました。みんなで寄付金を出し、走る想いを書き入れてエントリーしたところ、見事当選しました。
当選したからには走るべし。

時間を見つけてコツコツ走り出しました。
走り出すと、とてもきつい。
でも、少しずつ走れる距離が伸び、タイムが縮み、楽になってくる。
そうすると、案外楽しい。

書籍

1ヶ月ほど走ってみてから、いろいろと悩みが出てきます。
10キロなど比較的長い距離をそれなりのペースで走ると、両股関節とか右足親指とか、筋肉痛とは違う痛みが出るようになってきたのです。ストレッチが足りないのか、走り方が悪いのか。

それで小出義雄さん著「マラソンは毎日走っても完走できない」を読んでみました。そう、Qちゃんを育てた監督さんの本です。帯にはこう書いてあります。

「マラソンの練習が分かっていないから30kmあたりで歩いてしまう人が多いんだよね」

興味がある人は読んでみてください。私が気になったのは次のような箇所。
・42.195キロを走破できる「脚をつくる」ことに目的を置きます。つまり、ジョギングをするためのジョギングではない、ということの確認です。
・呼吸よりも先に参ってしまうのは、脚のほうです。
・「毎日走っている」だけでは、マラソンのトレーニングにはならないということ。脚に負荷をかけていなければ、強い脚はできません。
・1週間に1日は「脚つくり」をする。
・いわゆる三日坊主。でも、これは「挫折」というより、「がんばり過ぎ」が原因のことが多い。日本人が性格的にがんばり過ぎが多いんです。
・雨が降っていれば「お天道様が与えてくれたプレゼント」だと思って休みにする。風をひいたときは「神様がくれたご褒美」だと思ってゆっくり過ごせばいいんです。

その他にも、フォームは気にしなくて良い、とか、シューズの選び方なんかも分かり易く説明されています。

あ、あと、全く傾向は変わりますが、村上春樹著の「走ることについて語るときに僕が語ること」も面白い本です。最近、司法修習生時代の教官であった某先生が、ブログにこの書籍を引用して経営論を語っていました。その話はまたいつか書きます。

GPS時計(Garmin ForeAthlete220)

スマートフォンを携帯しながら走っていましたが、どうも邪魔です(いろいろ携帯するためのグッズもありますが)。それで購入しました。
とても良いです。スマートフォンとBluetoothでワイヤレス接続できますので、ラップやコース等見たい情報はスマートフォンでも確認できます。Garmin connectというアプリもありますので、トレーニングが楽しくなること間違いなしです。
とってもお勧めです。

Patagonia

ミズノのランニンググッズは種類が豊富で、日本人に合っていると思います。でも、私はPatagoniaが大好きなので、Patagoniaで帽子、シューズ、靴下、ウェアを買っています。何より丈夫で機能的に作られていると思って、愛用しています。素人ですから、気持ちを大事にしたいのです。

グループの仲間

最後に、やっぱりグループエントリーした仲間の存在は一番大切です。1週間に1回、メールで週のトレーニング情報を共有して、刺激し合っています。当日も6名で集まって参加できるので、安心です。壮行会を催したり、完走した喜びを分かち合う仲間がいることはかけがえのないことです。

次回は、初めて1年の下手くそゴルフについて書きたいと思っています。

ペンギン

Googleアルゴリズムの基本を知れば、コンテンツ作成の肝が見えてくる!

ペンギン
ペンギンとパンダ。両社ともにゆずらぬ水族館・動物園の人気者。
この子たち、2012年突如として暴れん坊と化してしまったのです。。

はい、Webの世界のお話です。

コンテンツ重視、ユーザ視点で考えるGoogle姿勢は素晴らしい!

Googleには「ウェブマスター向けガイドライン」というものが存在します。
そこに記されているのは、Googlenのポリシーであり基本方針。

ーユーザの利便性を最優先として考え作成されたページを評価する

小手先のテクニックで、自作自演で検索上位表示されていたサイトを蹴散らした。
それが2012年に日本に入ってきた、
・ペンギンアップデート
・パンダアップデート
です。

具体的にはなにがダメなの?

まず覚えておいていただきたいのは「コンテンツ」の独自性。

ペンギンは「リンク」、パンダは「コンテンツ」を巡回チェックしています。

ーペンギンアップデートのチェック概要
・リンクの非関連性
・無駄無意味なリンク過剰
・自作自演のサテライトサイト相関性
・有料リンクの有無

ーパンダアップデートのチェック概要
・物まね(コピー)コンテンツか、オリジナルか
・ユーザに利益あるサイトか
・リンク集になっていないか

要は、コンテンツとテキストのオリジナリティ、有益性をジャッジしているわけです。

Webの成長、それは育児に似ている

Webサイトで求める成果をあげるには、企画、構成、設計など様々な要素が必要であることは周知かと思います。
サイトが完成!ん?あれ??まったくもって成果につながらない。。
そんな話はよく聞きます。

そりゃそうでしょう。
原点に還ってみてください。

あなたのWebサイトは、ユーザーのためになっていますか?

ユーザは検索することで欲しい情報が的確に(的外れな結果でなく)ヒットすることを期待しています。
そして、有益な情報を求めています。
時間の経過と共に情報は同じく変化していきます。

Webサイトも同じです。
生まれた赤ん坊にはミルクを飲ませ、健康にすくすく育つように栄養を与えますよね。
サイトにも栄養を与え、それを継続することが必要です。

同時に、教育も必要になってきますよね。
生まれたばかりの赤ん坊に音楽を聴かせ、本を読み、道徳を説く。
すると、赤ん坊の成長はその環境と育て方で方向性が決まってくる。

サイトを作って終わり。
それって、育児を放棄しているようなものだと思いますよ。

ここ数年の潮流〜Web成功への導線・文章力〜

コンテンツにも様々あります。
テーマ、目的によって着手すべきコンテンツを選定する必要はありますが、例えば、
・用語辞典
・オリジナリティのあるコラム
・事例集
・ユーザ視点での商品紹介
・考えられたスタッフ紹介
・お客様の声
などなど。

テーマとコンテンツを明確に絞って、オリジナルかつ有益なテキストコンテンツを生成する必要があります。

今日はここまで。
次回は「ロングテールSEO」について語る(かも)しれません。

ごきげんよう。さようならw

自然と惹かれたよき母3役!「あぁ、こんな人いいなぁ。。」

出典 youtube

映画やドラマを観ていると、「こんな人いいなぁ」って見入ってしまうときありますよね。
設定と演者がものの見事にベストマッチしていて、自然に心に染み入ってくるんです。
場面によっては”ツツゥー”と涙までこぼれてしまう。。

最近huluにハマっていまして、旧作品をよく観てるんです。
その中で「自然に惹かれた母3役」を是非知ってもらいたく、ご案内してみますね。

愛と包容力に満ちた母、てっぱん「村上真知子」

2010年、NHK総合の連続テレビ小説。舞台は広島県尾道市。
村上真知子(安田成美)さんは、ヒロインの村上あかり(滝本美織)さんの母役。
とはいっても、実は養母なんですよね。
あかりはその事実を高校3年生の時に知るわけです。
実祖母・田中初音(富司純子)さんとの運命の出会いをきっかけに。

もともと明るい性格のあかりなので、そこは予想通りの展開ですくすくと成長していきます。
が、しかし、やはり心は揺れ動く。。
そして父(遠藤憲一さん)とその家族も、時に気持ちを抑え、時に感情を抑えきれず爆発したりするわけです。

ーそこでキラリと光る村上真知子(安田成美)の出番。

あかりと家族の心のかすがいとして、私は観ていました。
決して派手ではないんです。
力強い肝っ玉母ちゃんではもちろんありません。

どちらかと言うと、控えめで優しく包み込んでくれる柔らかい空気感のある母。
しかしここぞ!という時に決して動じない。
「心地よい愛情と懐深い包容力」に自然と惹かれ引き寄せられていました。。

安田成美さんのここに注目!

・感情の機微がでる目尻
・時に優しく、時に小刻みに震える唇
・一瞬で空気を清涼感いっぱいにしてくれる笑顔
・心地よい話し方

是非まだ観てない方はご鑑賞ください(151話ありますけどね)。

ついでに、観たらお好み焼き食べること必至ですw

品やかさとぶれない体幹、じゃりん子チエ「ヨシ江さん」

個人的に、昭和のよき時代を代表する人情コメディの名作(と思います)。
確か小学低学年の頃、友達の家で単行本読んだのが初めだったかな。

ー時を経て今、ブーム再来!

といっても、うちの家族だけでのブームなんですけどw
観ててしっぽり、ほんわかするんですよね。ちょっと紹介します。

天真爛漫なチエと、どこか憎めないテツの掛け合い。これは全編とおして笑えるw
個性溢れるキャラクター全員集合って雰囲気も◎。
いつの間にか身近な友人に置き換えて観てますね。

花井のオッちゃんの知的さと気さくさは、M社長。
テツの豪快さは、熊本のおやっさん。
ひらめちゃんの控えめで隠れた才能は、昔恋したY女子。
などなどw

ー時を止める天性のしなやかさ〜ヨシ江さん〜

ワイワイしたストーリーの中で独特の空気を醸し出すのが、そう、チエの母、ヨシ江さんなのです。

なにが良いか?それは
・物腰の柔らかさ
・語り口調のなんとも穏やかなこと。。
・諭し方にとてつもない優しさと愛を感じる
ってところでしょうか。

あ、もう一つ。
・人としての基本がちゃんとしてる!

ーヨシ江さんの名言を一つ

「一人で生きてゆけるなんて思ってると
辛抱せなあかん時に
辛抱がきかんようになったりもするんよ」

ヨシ江さん、ありがとうございます。

情深き自然体な母、おひさま「丸山徳子」

今日の最後は「おひさま」より。
(またまたNHK総合からのチョイスですが。。)

戦前戦後記は多々ありますが、今回はそこには注目せず「この人いいなぁ〜」で通します。

ずばり、丸山徳子(樋口可南子)さん。
井上真央さん演じる“太陽”の陽子の義母で、人に対しての強い「情」を感じます。

周囲の人を思いやり、
一緒にこれでもかというくらい笑ったかと思えば、
時に子供みたいに泣きじゃくり、塞ぎ込む。

パッと見、上品なのに自分の感情とか想いを素直に出せる人。

そんなところに惹かれましたね。

もっと書きたいのですが、前半飛ばしすぎて息切れしました。。。
まとめます。

人は無い物ねだりなのでしょうね。
だから自己投影して、映画やドラマに入り込み、時には涙を流したりするのかもしれません。

今回は「母・女性・人として」をテーマに書いてみました。
人として、こうありたい。

自戒を込めて。