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大学生のころから地元のFM局にお世話になり、番組を担当して、大学院生になった今も続けています。番組名は「More Discussion Club」。”もっとディスカッション・議論をしよう”という主旨で、周りの大学生や大学院生、若手社会人の方と一緒に、社会的なテーマを中心に、あーでもないこーでもない、とディスカッションしています。今日は番組での話を通して気づいたことをシェアしたいと思います。

口論?討論?議論?

私の親世代の方々に”議論”というと、”対立意見に分かれて相手を言い負かす行為”という意味合いで受け取られることが多いです。そして得てして「議論なんかしてもどうせ平行線で、何も解決しない」という言葉を添えられることが多い。この”相手を言い負かす”こと、平たく言えば口喧嘩が、日本における議論のイメージなんだ、と色々なところで実感します。

口論(英:quarrel)は、文字通り口喧嘩です。論理的であろうがなかろうが、言葉で言い争うこと、これを口論といいます。
討論(英:debate)は、対立意見に分かれて論理的に意見を闘わせることです。ディベートは言葉のスポーツとも言われます。高校生のディベート甲子園は有名ですね。
議論は、いくつかの意味をもつ言葉で、上の「ディベート」という意味で使われたり、国会で行われているような「議決」のことを指したり、あるいはこの記事のテーマでもある「ディスカッション」あるいは対話のことを指したり、と文脈によって意味が変わる言葉です。

日常会話で「対話」という言葉を使うことは極めて少ないですね。対立意見をもつ人達が、その不和を乗り越えてフェアな話し合いを試みる、というニュアンスが強い気がします。めったなことじゃ使わない。この「意見が異なる人達のフェアで自由な話し合い」は、私たちの生活環境にはあまりなじみがないんです。

「あなたのことは好きだけど、言っていることは間違っていると思う」と言うこと、結構難しいんですね。その理由は色々な本に書いていますが、平たく言うと「同じ意見=味方、違う意見=敵」という考え方が広く浸透している、という見解が多いですね。なかなか対立意見を「普通に」交換するのは難しい。だから議論というとほとんどの場合が討論で、しかも論理と感情を明確に分けて考える習慣がないから、討論と口論もほとんど同義で、「~論」というものは「対立」のイメージがあり、あまりポジティブには捉えられない。そんな気がします。

この記事のテーマでもある「ディスカッション」はとても建設的で有意義な行為です。それこそフェアだし、喧嘩じゃない。その話し合いに参加する全ての人にとって「よりよい妥協点」を目指す。今の社会にとっても必要なことだと思います。次回はこの「ディスカッション」について、色々な側面から考えてみたいと思います。