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昨日私が長崎でやっているラジオ番組の打ち合わせで、表題の「リア充・非リア充」について話しました。

リア充(ウィキペディア 一部抜粋)

リア充(リアじゅう)とは、リアル(現実)の生活が充実している人物を指す2ちゃんねる発祥のインターネットスラングで、若者言葉でもある。概念自体は2005年頃に2ちゃんねるの大学生活板で成立しリアル充実組と呼ばれていたが、2006年初頭に今のリア充の形として使われ始めた。当初は、インターネット上のコミュニティに入り浸る者が、現実生活が充実していないことを自虐的に表現するための対語的造語だった。その後、このニュアンスは、携帯電話を介したネットの利用者たちが流入するにつれ、彼らの恋愛や仕事の充実ぶりに対する妬みへと変化していった。


非リア充(ニコニコ大百科 一部抜粋)

非リア充(略称:非リア)とは、恋愛や仕事などの現実生活(リアル生活)が充実していない人間のこと。または、非リアル生活が充実している人間のこと。対義語はリア充。ネットやマルチメディア鑑賞、ゲームなどのオタク系趣味を好む傾向があり、リア充への嫉妬に似た嫌悪感を抱いていることが多い。コミュニケーション能力に乏しいなど何らかの理由で現実における対人活動を避けるが、一律に根暗や人嫌いというわけではなく、ネット上における対人活動(主に匿名)は通常にこなせるケースが殆どである。


私が大学でやっているサークルには、大学生、大学院生、留学生、若手社会人が集まります。そこで色んなテーマを、ああでもないこうでもないとディスカッションし、一部ラジオやYouTubeの番組として収録します。世代的にも、この話題はとても盛り上がる話題でした。インターネットが普及し、テクノロジーが進歩して、”バーチャル”リアリティーの”バーチャル”が全然虚ろではなくなってきている中、現実世界での成功を大切としない、という考え方が市民権を得ています。まだまだ”リアルを大切にする”考え方と比べて等価とはいえない扱いですが、ネットワークとテクノロジーがもっともっと進歩すれば、未来はどうなるかわかりません。

私たちの世代は既に、「バーチャルの心地よさ」を知っています。社会的成功も革命も、恋愛も結婚も、闘・食・性すべての成果が、疑似的にですが、比較的簡単に手に入ります。しかもそのソフトの数たるや無限ともいえるほどで、一生かかっても経験しつくせないくらいの疑似体験が、毎日のように世に出され、刺激的に更新され続けています。

仕事は苦痛、勉強は苦痛、人間関係も苦痛・・なぜなら思い通りにならないから。それを変えようとすれば努力が必要だし、努力したからといって必ず報われるわけではない。他に選択肢がなかった時代は、その結果を受け入れざるを得なかったけれど、今は時間と労力さえかければ必ず報われる世界がある。どうしてそれを生活の第一に置かないことがあろうか。

こういう風に考えることは、私たちの世代なら、「了解可能」なはずです。しかし、これを「リアルを大事にする考え方と等価の選択肢」と言ってしまうと、競争社会は回らなくなる。かといって、膨張するこの市場を否定するわけにはいかない。そういうジレンマが社会にもあるはずです。当の本人はというと、「リアルが大切だ」というのを第一としつつも、第二の世界をしっかり大切にしている。ちょうど江戸時代の隠れキリシタンのようなものでしょうか。

リアルだけで生きて、勝者と敗者に分かれる。
リアルを第一として、バーチャルを第二とする。リアルでうまくいかなくても、バーチャルでうまくいく。
リアルでの生活は、はなっからあきらめて、バーチャルでの生活を第一とする。

色んな生き方があります。どれが一番いいのか。答えは出ないかもしれません。
次回はさらにつっこんで、この問題を取り上げたいと思います。

茅野龍馬