古典

古典を読む楽しさ

古典

歴史の試練をくぐり抜けたベストセラー

中学生のころ、古文漢文の授業が始まって以来、古典の魅力にとりつかれ、色々と読んできました。我が家の本棚には、仕事で使う専門書とともに、たくさんの古典が並んでいます。何度読んでも飽きない、心の内側から感動する、という作品が数多くあり、毎日様々なことを学ばせてもらっています。

書店の店先には、そのとき人気のある作家のベストセラーが展示してあり、流行に応じて変わっていきます。一週間だけ並ぶものもあれば、一ヶ月のものもある。その後はというと、ほとんどが姿を消し、一部ジャンル分けされたコーナーや作家別のコーナーに続けて展示される。数年前にもてはやされた作家を、今は全く見かけなくなった、なんてことも少なくありません。最近は、純粋な文学作品よりも、自己啓発本やドキュメンタリーなどがベストセラーとして紹介されることが多いようです。そしてその多くは数ヶ月単位で姿を消す。次々に新しい作品が店頭に並び、消費されていく。「長く残る」というのは、それだけでとても大変だと感じます。

そういう意味で、古典はとてつもないベストセラーだと言えます。数百年・数千年読まれ続けている作品です。歴史の中で何人の手に取られ、読まれたか、想像しただけで圧倒されます。現代にいたっても、毎年一定数の人が新しくその本を購入し、色々な場所、例えばこういったブログなどでも度々引用される。さすがだな、と感じます。

私も古典を読む中で、その「普遍的価値」に度々勉強させられます。日本の古典だと、例えば枕草子や徒然草などは、物事の善し悪しのセンスを養ってくれますし、漢籍だと老子・荘子、四書(大学・中庸・論語・孟子)などは、大抵の悩み事に解決の糸口をくれるし、武経七書(孫子・呉子・六韜など)には処世の知恵がたくさんつまっています。

そうはいっても・・

面白い古典を買って読んでいるうちに、読みたい古典がたまっていき、なかなか現代の書籍を読む時間がつくれない、という状況が続いています。でもそれじゃあいけないと思っています。なぜなら、古典が古典として存在しているのは、それが書かれたころの人達がそれを愛し、それをその時代のベストセラーにしたからです。

よい作品を「残す」のは、その時代の人、現代なら現代人です。そういう意識をもって、古典を読み、今の書物を読む。歴史の連続性の中で豊かな人生を送るのは、簡単じゃないですね。

茅野龍馬

20141017紅葉

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