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ディスカッションのすすめ~その4:「真理」は宗教語?~

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これまでのおさらい
1. ディスカッションはあるテーマについて複数の人がざっくばらんに論じ合う行為
2. 真実なんてそう簡単にはわからないから、人の話を聞く耳を持ち、協力してよりよい解に近づいていく
3. 「自分の意見に従わせること」ではなく、「何が真理か」に興味をもつことが大切

今日はディスカッションを通して「真理」に近づく、ということの意味について考えたいと思います。

「真理」は思想や宗教だけで扱う言葉ではない

「真理」というと、どうしても思想や宗教を連想してしまうキライがあります。第2章でも述べましたが、”私たちみたいな一般人が、偉そうに「真理」なんてものを語ることは分不相応だ”という感覚、日本の文化に生きた人ならば多かれ少なかれ持っているはずです。だから、一個人が「私の言っていることは正しい」ということは相当大変で、何か思想だったり宗教だったりに寄り添ってか、団体や多数派に寄り添ってでしか、そういう発言をすることは難しい。一般的な団体や多数派は平均的主張が多いので、私たちは自ずから平均的な発言をするようになる。よく横断歩道を渡るときにいう、「右を見て、左を見て、もう一度右を見てから」自分の意見を言うようになるんですね。そういう中で平均的でない発言を、「正しい」と思って発言することは、先に述べたような伝統的観点からすると、宗教か思想に寄り添っていると思われるわけですね。「真理」なんて言葉を使った日には・・レッテルを貼られて大変でしょうね。

ディスカッションをする際には、その伝統的感覚からは一歩離れてものを考えることをお勧めします。”ひとりひとり”が、真理すなわち「到達しうる最適解」に興味を持ち、そこに到達することを「実現可能な目標」として共有し、全体で知恵を交換し合う。話し合いの内容は「ロジック」に基づいて整理され、時間と労力を無駄にしない。これが建設的ディスカッションの基本です。そうやって出た答えには、参加者の知性がいい塩梅で盛り込まれており、現状における最良の解を、ディスカッションを通して得た、と実感できるわけです。

テレビで見る討論や国会での答弁にも、このような「実感」を感じられるものが多いと、知性を大切にする民主主義社会で生きているんだなあと実感できるのですが・・

次回でこのシリーズは最後です。「一般人が政治や社会について考えるときに大切なこと」について触れたいと思います。また、愛読書である「今日の政治的関心(田中美知太郎著)」を紹介したいと思います。