人間味が薄れていく飲食店のサービス

今日は”クオリティの下限”について考えたいと思います。きっかけは先日の食事です。たまたま普段行くお店が休みだったので、近くの居酒屋チェーン店に入りました。飲み物を2杯と食べ物を3品ほど注文して、決して味が美味しくなかったわけではないのですが、気になったのはその”サービス”でした。

ゆび
注文があるときにボタンを押して店員さんを呼ぶシステム、今では日本中至る所にあるそうです。このお店も同様のシステムを導入していました。ボタンを押すと掲示板に番号が表示されて、それに気づいた店員さんが表示準に対応していく、というものです。

一見合理的なこのシステムですが、私はとても違和感を感じました。そのお店、個室というか仕切りのあるスペースが多いわけではありません。見通しのよい店内にテーブルが6個ほど、生け簀を囲んでカウンターが10席ほどあり、数名のホール係が常時待機しています。普通に手をあげて合図すれば気づくような店の構造です。にも関わらずボタンシステムを導入している。

そこでそのホール係の方々は何をしているかというと、ただただボタンの音に反応して注文を聞き、完成した料理・飲み物をテーブルまで運搬する、というものでした。ホールでの顧客の状況には全く興味がない様子で、運搬作業・注文確認時以外は、終始ホール係同士で雑談している、という状況でした。

そんな中、こういう経験をしました。私が箸を落としたので「すいません」と店員さんを呼んだところ、「ボタンを押してください。順番に対応します」とのこと。刺身と油物とを注文していたので、取り皿を変えてほしい、ということをお願いしたときも同様の対応でした。

私はこのとき、何ともいえない違和感を覚えました。「一体何のためのボタンなのか」と感じたのです。本来、ホールあるいは客室係の仕事は、顧客の機微に対応し、顧客が満足のいく時間を過ごすサポートをすることだと、大まかに言えます。そこで例えば伝統ある料亭などでは、客室ごとに客室係が待機し、声や合図などで反応して、その要望に対応します。そんなマンパワーはどこにでもあるわけではなく、一般的な飲食店では、限られた人数での接客をします。そういう中「個室空間」をウリにする飲食店は、平均的予算の範囲内で個室空間と迅速な対応とを何とか両立させるため、ボタンシステムを導入していると聞きます。また、「低価格」をウリにする店は、広い店内スペースを少ない人員で回して、人件費を浮かし、パターン化されたメニューを大量生産大量消費することで低価格を実現しています。こういうお店も、永遠に店員が回ってこない、なんていう事態を避けるためボタンシステムを導入していると聞きます。


それもまた「しょうがない」と言ってしまう

こういうシステムは、本来の「人間らしいサービス」を「価格」や「効率」のために犠牲にしているもの、と言うことができると思います。日本の社会の面白いところ(ユニークなところ)は、諸外国と異なり、これがむしろひとつの「あたり前」になってきていることです。人間味のないサービスが社会に浸透していった背景には、社会のコミュニティが破綻し、コミュニケーションが苦手になる人達が増えていることがあります。そういう中、むしろその「人間的やりとり」を重視しない傾向がかなりの範囲で広がっていると言えます。例えばファミレスなどでは店員さんとは目も合わせず、ボタンで呼んで、メニューをただ読み、注文する。店員は店員でそれを機械的に記録し、機械的に復唱する。アイコンタクトの一切ないやり取りで注文が完了し、一定時間で料理がテーブルに届く。こういう光景はもはや珍しくないものになりました。すなわちこの「機械的やりとり」がひとつの「マジョリティ」となって市民権を得てしまったわけです。

そして前述のようなお店でも、そういうサービスがあたり前になってしまっている。十分目が行き届く店内に、十分な数のホールがいて、値段も安くない。しかしボタンシステムを導入していて、接客はファミレスのアルバイトとほとんど大差ない、という状況です。値段はそのままに、ただ接客の質を落とす。そういうことが、全国的に起こっているように感じます。

この違和感を周囲の友人に話すと、反応は半々で、半分は共感をしてくれますが、もう半分は「そんなもんでしょ」「しょうがない」という反応です。サービスを選ぶ側として、「これ以上は譲れない」という感覚が薄いように感じます。ヨーロッパに行くと、ホールはホールをマネージ(管理・運営)するのが仕事、という感覚が根強いです。だから、アルバイトであれ何であれ、ホールで仕事をする以上はそのホールの責任は自分がもっている、という雰囲気があります。実際日本のこの状況を説明すると、10名中10名が、「それはサービスじゃないね」と答えます。「自分だったら絶対行かない」という人が、私の周りには多いです。

この「クオリティの下限」の問題、実はもっともっと深く社会全体に浸透していて、飲食店でのサービスに留まりません。「バター風マーガリン」「手打ち風そば」「手作り風弁当」「果汁0%のオレンジジュース」など、例をあげればきりがないのですが、例えばフランスと比べると、日本の社会がいかにこの問題に無頓着か、ということがわかります。「価格」「効率」を追求し、「見せかけ」を多様することが社会全体のクオリティ意識を下げることになる、ということを自覚し、きちんと規制する、というスタイルをとっている国として、フランスは有名です。

この話題についてはまた日を改めて共有したいと思います。